2023年、最初の四半期が終わった。今年に入って偉大な音楽家が多くこの世を去った。昨年度までに亡くなった音楽家は云々という話ではなく、今年は多く・続いているなぁ、と思うのだ。特に最近はミュージック・レジェンドというより、リアルタイムでムーブメントを体験してきたアーティストの死、ということで、いろいろ総括や心の整理が必要なんだけど、悲しさが癒える前に次の人の訃報が重なるというのが堪える。
ジェフ・ベック、高橋幸宏、鮎川誠、バート・バカラック、ウェイン・ショーター、ボビー・コールドウェル、そして昨日発表されたのが、坂本龍一。あと音楽家ではないけど、松本零士もね。コロナもやっと出口が見えてきた 2023年、たった 3カ月で多すぎだろう。
今日は、一緒に青春・ムーブメントを体験した日本のアーティストの想い出話をする。なんとかセラピーだ。
YMO とシンセサイザーミュージック
YMO 、まさにリアル世代だった。シンセサイザーという楽器や電子音楽に強い興味を持ったきっかけでもあるし、テクノミュージックだけでなく逆輸入・中国服・テクノカットなどのカルチャー、スネークマンショー・スーパーエキセントリックシアターなどのお笑い、あらゆる面で絶大な影響を与えた「現象」だった。なんていうの、中2が欲しがるものがみんな揃っている、みたいな。
ホソノ・タカハシ・サカモトの YMO が放つ音楽は従来のものと全く違っていて、その頃は父親の影響でクラシックやワールド・ミュージックやジルベール・ベコーなんて聴いてたから、まぁ、驚いたよ。
シンセサイザーにはシビれたね。ライディーンのメロディや、テクノポリスのボコーダー。大人に聞いても誰も知らない楽器。Kool & the Gang の Summer Madness と YMO がシンセサイザーへの憧れを、まさに扉を開いたという感じだった。ピアノをやってたんだけど、雑誌でみると鍵盤が付いている。やった!俺、それ弾ける!とか思ってね。
YMO の第1期が活動していたのは、1978年~1983年のたった 5年間。「イエローマジックオーケストラ」「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー」から「増殖」の最初の3年の作品は(テープが)擦り切れるほど聴いた。「BGM」「テクノデリック」で彼らのテクノは発展・展開して、そして「浮気なぼくら」でファンがみなずっこけて、「サーヴィス」「プロパガンダ・散開コンサート」へと怒涛の流れ。たった 5年でよくやったよね。
忌野清志郎の RCサクセション「いけないルージュマジック」や、シーナ&ロケッツのファーストアルバムもその流れで知った。渡辺香津美も鮎川誠も、小林勝也も伊武雅人も、横尾忠則も立花ハジメも、みな YMO から知ったという人が多いのではないだろうか。
彼らの音楽を支えるシンセサイザーもまさにこの時代、激動だった。YMO がデビューした頃の電子音楽とは、ゲームミュージックのようなピコピコしたサウンドだった。「ゲームセンターのインベーダーやサーカスのサウンドが音楽になってる!」みたいな。機材としては Moog、Arp、そこから、Sequential (Circuit) Prophet-5 や Roland VP-330 などの再現でも借り物でもない、リッチなテクノサウンドに変化する。後期には E-MU Emulator などのサンプラーが登場する。
その後のソロ活動でも、坂本龍一は YAMAHA DX7 を愛用、専用も ROM も出したり(自分は CASIO CZ-5000 を使っていたので、高橋幸宏派だった)。シンセサイザーのカンブリア爆発期みたいなもんだ。その当時は、そんなことが、「今まさに時代が動いているんだ」なんて気が付かなかったけど、あの頃のシンセサイザーはいまだに復刻版がリリースされるくらいだから、まぁ、そういう「時代」だったんだろう。
教授・サカモト
当時の(音楽もよく分からない)YMO キッズに人気だったのは坂本龍一だった。ほら、一般的にドラムやベースは地味じゃない。彼らの芸術性や細野がリードしていたパワーバランスなんて情報は知らないのだから、露出と雰囲気でね。「サカモト、かっこいー」とか。小学校でなぜか「サカモトです」なんてギャグが流行ってたり。
坂本龍一は、手記や自伝もその頃から数冊出ててね。彼が新御茶ノ水の地下エスカレーター工事の土方バイトをやっていた、とか、「藝大を解体しにいく」といいながらしっかり卒業している話とか、逸話や情報がよく入っていたのもあると思う。
高校くらいで(キーボードマガジンを読んで)音楽に詳しくなりはじめると、キリンバンドの錚々たる顔ぶれや、ソロ活動で沖縄民謡を取り入れたワールドワイドな活動のニュースとかが入ってきて、1983年には「戦場のメリークリスマス」があるわけで。一挙に世界のサカモトになっていく。
近年(ここ20年)でこそ、思想家・活動家として難しい表情のアイコンになっている坂本龍一だが、音楽図鑑、NEO GEO や MEDIA BAHN の頃は、「俺!売り出し中ー!!」という勢いがあり、1本に束ねた髪を角のように生やしたり、ライブでキーボードを弾いている時間と踊っている時間が同じくらいあったり、音楽的にも映画音楽から Thomas Dolby や David Sylvian とのコラボ、沖縄・タイ・中国のアジアン・ミュージックと、とにかく手あたり次第、精一杯・目一杯、の活動をしていた。やりたい音楽が次から次へと沸いてくる感じだったのだろうか。
活動の拠点を NY に移したのもその頃かな。急激に膨らむサカモトの存在や音楽のワールド感・グローバル感に追いついていけず、彼の音楽を聴かなくなった。考えてみれば、彼も等身大の人間だったはずなんだけど、凄いよね。
だから、散開の10年後に再結成した テクノドン期では、教授は頭ひとつ飛びぬけた存在だったと思う。でも個人的にはテクノドンで衝撃的だったのは、細野晴臣の新しいテクノミュージックの造詣、そして高橋幸宏の存在のデカさだった。このテクノドン以降、音楽的には細野と高橋を追うことになる。
オンガク
高校後はジャズの世界に流れたので、坂本龍一が大好き、というクラスタではないのだけど、坂本龍一の曲をひとつ挙げよ、と言われれば「音楽(オンガク)」だ。戦メリではない。「浮気なぼくら」に収録された曲だけど、YMO の PROPAGANDA の映像付きがいい。または、MEDIA BAHN LIVE のバージョンもいい。この曲がどのような曲かは説明するだけ野暮なのでやめておく。自分で調べて欲しい。
FIELD WORK + STEPPIN’ ASIA
Thomas Dolby も好きだったので、FIELD WORK も挙げておきたい。これもいい曲だ。トーマス・ドルビーと坂本龍一が出演する MV も良い。
そして、同時期に発表された STEPPIN’ ASIA(1985) も良い。タイ語がフィーチャーされたアジアン・テクノだが、気持ちがいい。味のあるベースは細野晴臣。本当に仲が悪かったのだろうか、と当時は思っていた。サビは矢野顕子。
「NEO GEO」「MEDIA BAHN」はよく聴いた。「未来派野郎」収録の Ballet Mécanique も美しい曲だ。ライブや、その後のアレンジではいい演奏が聴ける。歌詞もいい。中谷美紀のカバーとかあったね。
戦メリ
昨晩、訃報を聞いて、昨年末に弾いた Merry Christmas Mr. Lawrence を聴いたんだけど、彼のピアノ、巧いよね。昔はあんな感じじゃなかった。抗がん剤治療で苦しい中、歳をとりながらも深く、研ぎ澄まされた一音一音を紡ぎだす姿をみて、「あー、これはやっぱり凄いな」と思った。
一般的に坂本龍一の代表作を聞かれると「戦場のメリークリスマス」になるのかな。戦場のメリークリスマスは原曲はあまり好きじゃなくて(楽曲でなくて、あの原曲がサイコー!という人はそんなにいないだろう)、ライブでも「またかよ」的な存在だったのだけど、数十年を経て、この楽曲はあの演奏に辿り着いんだと、今、理解できる。
長い旅路が終わったんだな。
そんな認識が自分にもゆっくり沁みわたっていきます。本当にご苦労さまでした。
コメント
言葉にすると伝わりきれなくて、「以心電信」の限界の前に、とりあえず聴いてみて、ってなりますね。自分の形のおおかたを作ってくれた坂本さんに感謝です。「Tong Poo」のカバーがたくさんあるけれど、やはり「Public Pressure」の音源が一番ですね。
東風、Bパートが面倒ですよね。個人的には中間のベースパートが変化球なテクノドンライブのバージョンも好きです。